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〜おさむクリニック新聞から〜
  
11.写真
(おさむクリニック新聞2007年8・9月合併号より)

 「まるで病人じゃないみたい!」写真を見て彼女は嬉しそうに笑った。酸素チューブをつけてベッドに横たわる彼女の後ろでご主人が微笑んでいる。はにかんだ彼女の頬は少しピンク色で、それを見て訪問看護師や私がいつも「病人じゃないみたい」と言うことが、ちょっといつもは不満なのだ。でも写真を見て思わず「まるで病人じゃないみたい!」という言葉が自然に自らの口をついて出てしまった。
 写真は一瞬しか写せない。多分シャッタースピードは1/250秒、長くとも1/30程度だろうから、まさに一瞬の出来事にすぎない。しかし、それは何年、何十年の蓄積の上にはじめて成り立つ一瞬なのだ。その一瞬はまさに真実であり、写真として切り取られた一瞬はそのまま永遠に凍結される。病を患いながらカメラに向けた笑顔も、それを優しく包み込むご主人の微笑みも凍結されたほんの一瞬に過ぎないが、その表情の中に50年以上を支え合いながらともに過ごしてきた夫婦の絆や信頼、二人だけにしかわからない歴史を感じ取る事が出来るのだ。
 その一瞬は二度と来ない、だから時として写真は永遠の宝物になる。それなのに、その大切な一瞬を逃してしまう事もある。
 彼は、余命がいくばくも無い事を確信していた。それでも急いで帰らなければならない何かが彼にはあったのだろう。病院に会いにいった時、彼は握手して「お願いします」と言い、翌日には退院してしまった。しんどいと言うと帰してもらえないので努めて元気を装っていたという。彼の家には、妻と二人の娘、計4人が集まっていたが、たぶん色々と訳があったであろう彼の家族が、彼の元気なうちに一堂に会すことはこの一瞬しかないと感じた。診察をしたり今後の話をしたりしているうちに、カメラを持っていたのに写真を撮ることを忘れてしまっていた。彼は2日後に亡くなった。家族との最期の一瞬を残してあげる事ができなかった。しかし、彼の生き様は家族のまぶたに永遠に焼き付いているに違いない。
 ベッドで寝返りさえ打つことのできないおばあちゃんの横で、おじいちゃんは、ちょっと怒ったような顔をして写っていた。「もうどうしようもあるめえ」という、ぶっきらぼうな言葉の奥に、おばあちゃんに対するあふれる愛情が感じられた。床ずれが沢山あるおばあちゃんの処置は骨の折れるものだったが、いつもおじいちゃんがタイミングを見計らって冷蔵庫から処置用の薬を出してくれていた。昔気質の頑固親父を絵に描いたようなおじいちゃんは、いくら笑わせようとしても顔はこわばる一方で、結局カメラをにらめつけるような顔でファインダーにおさまった。次に伺った時、その写真は不器用に、しかし大切そうに壁に貼り付けられていた。「写真貼ってくれているんだ」というと、おじいちゃんはちょっとはにかんだような表情を見せた。彼が私の撮った写真を壁に貼ってくれたことがとても嬉しかった。
 家庭で病人の介護をすることは大変なことだ。とても余裕などない。だから当然写真を撮るという考えも浮かばないし、病気で療養中の写真など誰も撮ってほしいなんて思っていないだろうと、思っていた。しかしテレビカメラを向けられても怯むどころか、Vサインでやたら写りたがる1億総芸能人化した国民性によるものかどうかは定かでないが、被写体となる事はそれほど嫌いではないかもしれない。「もう先生こんな格好で写すの止めてください」といわれながら「まあそういわずに」と半ば強引に写真を撮らせてもらうこともあるが、次に写真をお持ちするとそれをネタに話が盛り上がるのである。ずっと以前、何かでたまたま撮った写真を喜んでもらったのがきっかけで、それ以後訪問診療には小型のデジカメを持ち歩いている。
 国家試験に合格したときだっただろうか、祖母と叔父が一眼レフのカメラをプレゼントしてくれた。それは今でも私の宝物なのだが、それからというもの、風景はもちろん人物に花に旅行の記録にと、とんでもない枚数の写真を撮ってきた。最近は自然を撮りに出かける元気(暇)がないので、もっぱら自宅で作った料理の写真を撮ることで趣味と実益を兼ねている。そろそろ一眼レフのデジカメをと思ってはいるのだが、使い慣れた35ミリフィルムのカメラで、充分な写真が撮れるので二の足を踏んでいる。蛇足だが、私はカメラを向けられると顔が引きつってしまい、被写体としては失格である。
 在宅療養中の現場に踏み込んで写真を撮るなんて、不謹慎な!とお叱りを受けるかもしれない。しかし、自宅で病気と闘いながら自らの生活を続けておられる患者様、仕事をしながらそれを精一杯に支えようとしているご家族の皆様。カメラを向けたときに彼らが見せる笑顔の中に、私は充実感や満足感、ある種の達成感といった感情を感じる。病院では決して叶える事の出来ない、住み慣れた自宅だからこそできる何かが、疲れはてた肉体の中から病人とは思えない穏やかな笑顔を引き出しているのかもしれない。きっとカメラにはそれを引き出す力があるのだろう。自宅で療養するという事は、口で言うほど楽な事ではない。途方にくれる事もある、涙ぐむ事もある、怒りもある、ギクシャクする事もある、しかし、笑顔もあるのだ。それも飛びっきりの。それを私は自宅で療養した多くの患者様から、そしてご家族から教えてもらった。ただつらいだけの療養なんてつまらない。どうせ寿命が決まっているんだったら、死ぬまで楽しく生きてほしいし、明るく送ってあげたいと思う。そして精一杯楽しく生きた証を、明るく介護した証を、ほんの一瞬に過ぎないけれど、写真の中に思い出していただければと思っている。最近年のせいか、やたらピンボケ写真が多いのだが、色々と忙しい介護の現場で、実は一番暇にしている私がこれからもシャッターを押し続けていこうと考えている。


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